その一言が何故言えない。

飲食店や派遣先でご飯を食べるときによくクチャラーを見かける。心なしか40代以降の人達に多い気がする。それ以降の年代の人達は食事中の咀嚼音に無頓着なのだろうか。

それはともかく、食事中の咀嚼音はかなり不快になる。生来クチャクチャして生きてきて誰からも注意を受けたことがないのだろうか。だとしたら本人は周りに不快な思いをさせていることに気が付いていないだろうし、そう考えるとあまりに恐ろしい。でもこういうことほど、なかなか他人は注意できない。

似たようなことには他にもあって、口臭とか体臭とかちょっとした嫌な素行すらもなかなか注意できない。僕は正面切って、人に「口臭いよ」なんてとても言えない。そんなことを本人に伝えた後の気まずい雰囲気を想像するだけで全身が粟立ってしまう。

これら全てに共通するものは自分で認識できないことだ。だからもしかしたら自分も口が臭かったり、他人が気に障るような行動を普段からしているのかもしれないが、誰も注意してくれなくて気づけていないだけかもしれない。頼むから誰かこっそり教えてくれ。

どうでもいいが、僕は笑う時に手を叩く人がとても嫌いだ。理由を聞かれたら自分でも全く分からないのだが、中学生の頃の塾の先生がそれをひどく嫌っていて、それを聞いてから自分も嫌いになってしまった。なんか悲しい。

些か話が脱線したが、とにかくこれらは本人に伝えなければならない。直接言うのが無理なら、隠れて伝えればいい。そこで僕の案が、例えば教室とか部室に箱を設置して名前を書かず匿名でその人の嫌なところを書いて投函すればいい。そうすれば気まずい雰囲気も回避して伝えられるし、紙に書かれた本人も気付けてWin-Winかつハッピーだ。

・・・と、思ったが実際これは絵に描いた餅で、書かれた本人は誰が書いたのかと疑心暗鬼になり、仲間間でも常に剣呑な雰囲気が纏わり付き、ついには友情が崩壊しかねない。

もうどうすればいいのかまるで分からない。

やはり本人に直接伝える勇気が大事なのだろうか。

CD1枚に対してどのくらい聴き込めばいいんだ。

皆さんは普段CDを借りたり、または買ったりして聴くことがあるだろうか。

僕は普段から近くの図書館やレンタルCDショップに足繁く通い、多くのCDを借りている。僕の家から直近のレンタルショップは毎月、1日と11日と21日に1枚100円レンタルを実施していて、それも品揃えが良いから月に2回ほど足を向けてしまう。それも普段より安く借りられるから欲張って何十枚も借りてしまう。家に帰ったらすぐにPCに取り込んで、1週間レンタルなのに暇だから翌日には返却してしまう。

気がつけばパソコンの中には取り込んだCDの楽曲が山積し、まだ前回借りたCDも聴いてないのに矢継ぎ早に次のを借りてしまうから、聴いてないCDばかりになり繁雑に耐えられなくなってしまう。そうすると早く消化せねばと思い、一度にウォークマンに3,4枚転送し通学中の時間などを利用し、順繰り聴くことになる。

最近あれもこれも聴かねばと思い、1枚のCDに費やす時間が減っている気がする。中学生の頃は借りてもせいぜい月に1枚程度だったから、知り合いが聴いているという理由でアルカラのCDを借りて、好きでもないのに馬鹿みたいにループしてあまりに聴きすぎて遂に自分でも好きなんだか好きじゃないんだか分からなくなるほど聴いていた記憶がある。

結局今、高校3年生になって思うのは僕とアルカラは相性が悪く、あまり好みのバンドではないということだ。だから当時あそこまで聴きこまなくて、もっと他にもアーティストがいたんだから色々聴いてみればよかったんじゃないかと思う。かと思えばオアシスのアルバムは耳が腐るほど聴き込んだら恐ろしく素晴らしい悪魔的なアルバムだったと気付かされたこともあった。

詰まるところ何が言いたいかと言うと、一枚のCDに対してどれほど聴き込めばいいか分からないということだ。

僕は音楽が大好きだし、たくさんのアーティストを聴いていきたいと思うけれど同じものを聴き込めば当然それは難儀することになる。でも、CDのアルバム(僕が借りるCDは9割9分アルバム)を4,5周しかしないで良さに気付けずに次のアーティストに移ってしまうのはあまりに口惜しい。この塩梅が非常に難しい。

音楽はお酒と同じで別に醗酵はしないけれど、聴いてから時間を置いてまた聴くと、以前聴いた時には感じられなかった精彩を放つことがある。だから4,5回聴いてダメなら後で聴けばいいんじゃないのか、と自分は結論付けている。

最近は能動的に音楽を求める人も少ないからこの記事に共鳴してくれる人はなかなかいないと思うし、そもそも音楽にあまり興味がない人にはクソほどどうでもいい内容だったと思う。でもロキノン大好きJKも折角音楽を好きになったなら、もっと多種多様な音楽を聴けば良いのにな、と思う。

それでは僕はこの記事を書き終わった後に半年前に図書館で借りたキングクリムゾンのアルバムをウォークマンに転送しようと思います。

ジャズやボサノヴァはヨーグルトのフタの裏についたヨーグルトだ。

皆さんはジャズが好きだろうか。

僕は好きか嫌いか訊かれたら思わず閉口してしまう。ジャズにも様々な種類があるらしく、色々聴いてみたのだがイマイチハマらない。普段ロックばかり聴いてる人間には退屈に聴こえてしまうのだろうか。

しかし、そんな僕でもジャズに心酔する瞬間がある。それはロックソングの一部に登場する時だ。この時ばかりは胸が躍る。例えば、夜咄ディセイブという曲は1:56~から急にジャジーな雰囲気になる。

www.youtube.com

また、Eric.Wという曲も3:11~から分かりづらいがボサノヴァ風に変化する。

www.youtube.com

このようにロックの一部に取り入れられたジャズ・ボサノヴァはとても聴きやすいが、単体になってしまうとどうも好きになれない。

僕にとってこれはヨーグルトのフタの裏についたヨーグルトと同じだと思う。

下品なので人前だと控えるが、恥ずかしいことに僕はヨーグルトのフタの裏を舐めるのが好きだ。さくらももこに至っては本体よりもそっちの方が好きだと公言している。あとケーキに巻いてあるセハロンについた生クリームも舐めるのが好きだ。多分舐めるのが好きな人は僕だけではないはずだし、少なくとも僕の周りはみんなそうだった。

しかし、それが単体になってしまうと急に魅力がなくなってしまう。誰だってヨーグルトのフタやケーキのセロハンを何十枚もプレゼントされても嬉しくないだろう。これはあくまで本体とセットになっていて、オマケ的なものになっているから良いのだ。言い換えれば、これらが僕にとってのジャズやボサノヴァで本体がロックである。

他にも例えるなら、アイスクリームのコーンの一番下の異様に甘い部分とか、ビビンバのおこげとか魚の皮もそうだ。本体とセットで初めて新たな価値が生まれるのだ。

こんなことを書いているとジャズやボサノヴァを愛聴している人達に怒られてしまいそうだが、僕はどうしても単体だと退屈でつまらなく感じてしまうのが否めない。

これから音楽の嗜好の幅が広がって、単体でも楽しめるような少しばかり趣のある人間になれたらいいな、と思う。